2024年12月23日、元宝塚の大物女優、加茂さくらさんが亡くなられました。
筆者はドラマの母親役などで目にすることが多く、優しそうな笑顔が印象的でした。
加茂さんには妹さんがいて、晩年は姉妹でスナックを経営していたとのこと。
この記事では、妹の加茂すみれさんや晩年を過ごしたスナックについて詳しくお伝えいたします。
加茂さくらのプロフィール!生涯結婚せず独身で夫はいない!
加茂さくら(かも さくら)さんのプロフィールをあらためてご紹介しましょう。
本名:大谷 照子(おおたに てるこ)
生年月日:1937年7月16日
没年月日:2024年12月20日(87歳没)
出生地:東京府東京市 (現・東京都港区)
死没地:兵庫県西宮市
血液型:A型
身長:160㎝
受賞歴: 第26回文化庁芸術祭賞優秀賞、第9回日本映画批評家大賞ゴールデン・グローリー賞
東京で生まれ、幼い頃は疎開先の静岡県熱海市で過ごし、中学時代からは京都で育ちました。
母親が宝塚ファンということで、1955年に宝塚歌劇団に入団。
1961年からは雪組の娘役トップとして活躍し、テルちゃんの愛称で親しまれていました。
1971年に退団後は、女優として活動する一方で、ワイドショー「3字のあなた」の司会も努めて多彩な才能を発揮されていましたね。
皇室との関係が噂され、秋篠宮さまと顔が似ているなどと言われていますが、皇后雅子さまが母方の遠縁にあたるというのは本当のようです。
晩年については後述いたしますが、2024年12月20日、肺がんのため兵庫県西宮市の病院で亡くなられています。
87歳でした。
おばあちゃん役などの姿をもう1度見たかったです。
因みに加茂さん自身は独身で、一度も結婚しなかったそうです。
加茂さくらの妹は加茂すみれ!姉妹で宝塚!
加茂さくらさんの妹は、加茂すみれさんです。
姉の入団の4年後、1959年に宝塚歌劇団に入団し姉妹揃って活躍、と言いたいところですが、姉ほどの活躍はできなかったそう。
しかし、誰でもが受かる試験ではないので、姉妹で合格したことが驚きですよね。
宝塚ファンの母親は何よりも嬉しかったことでしょう。
退団後はプロボウラーとして活躍し、本名の大谷茂子を名乗りました。
数々の大会で優勝し世界を回ったこともあるそうですので、実力も確かなものだったのでしょう。
そして晩年、1977年から兵庫県尼崎市でスナックを経営し、母親の介護と両立されていたとのことです。
妹さんも多彩な活躍をされていたということで、姉妹揃って才能豊かだったことがわかりますね。
加茂さくらは妹とスナックを経営!場所は尼崎市塚口のどこ?
加茂さくらさんは、晩年に妹さんが経営するスナックを手伝っていたとのこと。
スナックの名前は「路(みち)」で、兵庫県尼崎市塚口にありました。
現在の状況を調べようと、店の名前や住所を調べたところ…
Googleマップを確認すると、小さな看板は在りますがシャッターが閉まった状態でした。
また別の写真では…
看板の横には…
コロナ禍のおきまして1月12日より2月7日迄お休みさせて頂きます。
皆さまにはどうかお元気でお過ごしくださいます様
と書かれているものもありました。
コロナが始まった頃というと、2000年の1月ごろのことでしょうね。
もしかすると、コロナをきっかけにお店を閉店された可能性が高そうです。
「スナック路」があった場所は以下の通りです。
まだ看板は残っているようですので、加茂さくらさんを偲んで訪れる方もいらっしゃるかもしれませんね。
阪急の塚口駅からは歩いて5分ほどです。
まとめ 加茂さくらの妹は加茂すみれ!尼崎のスナック路を姉妹で経営していた!
今回は、元宝塚の大物女優、加茂さくらさんの死去を悼み、姉のすみれさんや姉妹で経営していたスナックについてお伝えしました。
ともに宝塚に入団した妹の加茂すみれさん。
その後の路は別々になりますが、晩年は2人でスナックを経営していました。
とても仲良しの姉妹だったのでしょうね。
加茂さくらさんのご冥福をお祈りいたします
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