2024年3月8日、漫画家の鳥山明さんの訃報が入りました。
3月1日に亡くなられていたとのことで、死因は急性硬膜下血腫でした。
68歳でした。
そこで今回は、鳥山明さんが結婚した奥様や馴れ初めについて、生前に出演していた「徹子の部屋」の動画と共にご紹介します。
鳥山明のプロフィール!愛知県清洲市在住でアラレちゃんやドラゴンボールの作者!
生誕:1955年4月5日
死没:2024年3月1日(68歳没)
出身地:愛知県名古屋市で清須市在住
活動期間:1978年~2024年
代表作:『Dr.スランプ』 『ドラゴンボール』
幼少時代から絵を描くことが好きで、愛知県立起工業高等学校(現在の愛知県立一宮起工科高等学校)デザイン科に進学。
漫画研究同好会に所属し、会長も務めたとのこと。
1974年、同校を卒業し、地元のデザイン会社「第一紙行名古屋支店」にデザイナーとして就職。
仕事に身が入らず、2年半ほどで退職し、アルバイトでイラストを描くなどの仕事をしていたそうです。
その頃、喫茶店で見かけた「少年マガジン」で新人賞の募集を知り、初めて漫画を描きました。
結局、締め切りに間に合わず別の機会に「少年ジャンプ」の新人賞に応募。
編集者の目に留まり作品を描くようにアドバイスを受けたものの、ボツにされることが続きました。
そして、1978年『週刊少年ジャンプ』で読み切り作品を描いてデビュー。
評判は芳しくなかったようですが、編集者が伴走を続けて、1980年に『Dr.スランプ』の連載が始まったとのことです。
以降は、「ドラゴンボール」や「ドラゴンクエスト」など、数々の作品を世に送り出しました。
そして、2024年3月1日、急性硬膜下血種で亡くなられたとのことです。
68歳でした。
鳥山明が結婚した嫁(妻)は漫画家のみかみなち!結婚後は引退!
鳥山明さんは、1982年に少女漫画家だった「みかみなち」さんと結婚されています。
みかみなちさんは、1976年デビューの少女漫画家で、昭和50年代に主に白泉社系雑誌で活躍されていました。
代表作の「上を下へのロックンロール」を始め、ロック系のコメディ漫画を描く漫画家として知られていましたが、
1982年に鳥山明さんと結婚し、1985年に引退されています。
出会いのきっかけは、仲間内で「誰かにいたずら電話をかけよう」ということになり、鳥山さんがみかみさんに電話をしたのが始まりとのこと。
鳥山さんは、奥様のことを「あのセンスと知識にはかなわない」と話しているほど、才能やセンスを評価しているようですね。
そんな奥様との出会いについて、鳥山明さんの肉声で語られていますので、次項でご紹介します。
【画像】鳥山明とみかみなちの馴れ初めは?徹子の部屋に夫婦で出演!
鳥山明さんが、「徹子の部屋」(1983年5月4日放送)に出演された時の映像が残されていました。
こちらが、その収録に付き添っていた奥様のみかみなちさんの画像です。
ショートカットで笑顔が可愛らしい女性ですね。
黒柳徹子さんのインタビューで、下記のように奥様との馴れ初めを語っていました。
以下は、徹子の部屋のインタビュー要約です。
- 僕より漫画のキャリアがある
- 奥様いわく「結婚と漫画は両立できない」
- 時々奥さんに漫画を描くのを手伝ってもらう
- 奥さんの親戚が同じ町内で同業だから会ってみた
- 鳥山さんより年上
- 当時あまり女性と話したことが無かった
詳しくは、下記の画像をご覧ください。
鳥山明さんの肉声も珍しいですよね。
奥様との馴れ初めを楽しそうに語る鳥山明さん。
とても貴重な映像ですね。
まとめ 【顔画像】鳥山明が結婚した妻(嫁)はみかみなち!徹子の部屋の動画も
今回は、漫画家の鳥山明さんの奥様、みかみなちさんについてお伝えしました。
自らは漫画家を引退し、鳥山明さんを陰から支えていた様子が「徹子の部屋」のインタビューからも伝わってきましたね。
鳥山明さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
コチラも併せて
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