今回は、モックンこと本木雅弘さんが着用した紅白歌合戦のゴム衣装についてお伝えします。
現在は俳優としての活躍が主ですが、昔はシブがき隊としてアイドルデビューし、ソロでも紅白に出演していました。
一風変わった個性的なファッションなどで知られていますが、1992年の紅白歌合戦で着用した衣装がすごかったのです。
一体どんな衣装だったのか?
その映像ともに、衣装を選んだ背景なども詳しくお伝えいたします。
本木雅弘のプロフィール!ジャニーズ時代はシブがき隊でアイドルから俳優に転身!
以下が、本木雅弘(もとき まさひろ)さんのプロフィールです。
本名:内田雅弘(うちだ まさひろ)
生年月日:1965年12月21日(2024年11月現在、58歳)
出生地:埼玉県桶川市(旧・北足立郡桶川町)
身長:174 cm
血液型:A型
活動期間:1981年~現在
学歴:桶川市立桶川東中学校⇒浦和学院高等学校⇒明治大学付属中野高等学校定時制卒業
著名な家族:内田伽羅(長女)、 UTA(長男)、 玄兎(次男) 、内田裕也(岳父)、 樹木希林(岳母)
事務所:メンズアート
14歳の時、中村雅俊さんが出ていた学園ドラマに憧れて、ジャニーズ事務所ともう1社に履歴書を送り、先に電話があったジャニーズ事務所に入所。
1981年、金八先生シリーズの学園ドラマ『2年B組仙八先生』で俳優としてデビューしました。
1982年、同ドラマで共演もしていた薬丸裕英さん、布川敏和さんとともに「シブがき隊」として歌手デビュー。
中でも「スシくいねぇ!」は、今でもお寿司を食べるシーンでよく流れる曲としてお馴染みです。
6年間アイドルとして活動し、シブがき隊は解散。
その後は俳優として活動を始め、映画「ファンシィダンス」や「シコふんじゃった」など、個性的な役柄演じて評価されました。
順調に俳優として活動を始めたようにも見えましたが、実はジャニーズ事務所からの圧力もあったとか…
薬丸と布川はメリー氏の勧めるプロダクションに入ったそうですが、本木はメリー氏の意向を汲まずに自分の行きたい事務所を選んだみたいです。そのため、メリー氏の逆鱗に触れ、圧力が及んだと聞いています。ただ、本木がジャニーズと共演できなくなったのは1990年代半ば以降です。
引用元:日刊ゲンダイ
この頃の本木さんは、アイドルのイメージを払拭したいという想いもあったのか?ヘアヌード写真集を出版したり、後にご紹介する紅白の過激衣装のパフォーマンスなど、個性的なパフォーマンスが印象的でしたね。
そして、1995年には内田裕也さんと樹木希林さんの娘である、エッセイストの内田也哉子さんと結婚。
お相手が19歳だったことや、内田家に婿養子に入ったことなど、新しい夫婦の形として注目を集めました。
その後は、葬儀をテーマにした映画「おくりびと」で、アカデミー賞の外国語映画賞を受賞するなど、本格派俳優としてキャリアを重ねています。
【動画】本木雅弘の紅白歌合戦のゴム衣装とは?コンドーネックレスって何?
前出の通り、シブがき隊としてアイドル活動をしていた本木さん。
紅白歌合戦には、1982年から5回連続で出場していました。
そして、解散後の1992年にはソロとして出場されていたのです。
曲は、栄養ドリンクの「リゲイン」のCMソングとして使用された、井上陽水さんの「東へ西へ」のカバーでした。
懐かしのCM動画はコチラです。
商品は栄養ドリンクですが、どこか力を抜いている本木さんの姿が面白いCMでした。
そして、この「東へ西へ」を紅白で歌唱した際の衣装の写真はこちらです。
首にかけているのが、通称「コンド―ネックレス」。
この首元のネックレスはコンドームを膨らませたもので、手には風船のように膨らませたものを持ちながら歌いました。
素肌にジャケットで、お尻を見せるようなパフォーマンスもしていたそうです。
もちろんNHK側には内緒で決行されたものでした。
では、その紅白のゴム衣装で歌唱したシーン、一部を動画でご覧ください。
当時、自分は中学生でしたね。 #ソフトバレエ の #森岡賢 みたいなモッくんがクネクネしながらゴムを持ったり、首からぶら下げて歌うとゆー衝撃パフォーマンスを繰り広げたのでした😳
— けーいち (@k1_yokohama045) December 4, 2017
#本木雅弘 #東へ西へ #紅白歌合戦
#エイズ撲滅 pic.twitter.com/QiPh0Qv7lz
衣装もさることながら、メイクと髪型と個性的なパフォーマンスは前衛的ですね。
NHKには抗議の電話が80件ほどあったとのことですが、視聴率が50%だったことを考えると少ないかもしれませんね。
視聴者もモックンの美しさに圧倒されたのかもしれません。
本木雅弘の紅白衣装の理由は?エイズ撲滅の訴えだった!
本木雅弘って元アイドルらしい・・・ずっと俳優の人かと思ってた・・・そして、調べてたらこんなの出てきた・・・どうして首からコンドームぶら下げ歌ってるの・・・🥺 pic.twitter.com/dQjBGYiyBE
— (@Pioggia_dolcE) January 12, 2021
実は本木雅弘さんの紅白のゴム衣装には、ご本人なりの想いがあったことがわかっています。
2024年11月に放送された「あさイチ」では、次のように話していました。
本木は「正直、この時もすでに独立してライブとかもしていて、それも長続きしないであろうと。そこでまさかの紅白のお話がきて、1回こっきりならば賭けにでて、記憶に残るパフォーマンスができればという感じでした」と過激パフォーマンスを局側にも内緒で行おうと思った心境を語った。
引用元:デイリースポーツ
それにしても、かなり勇気がいることだったのでしょうね。
そしてパフォーマンにはもう一つ、大きな社会問題へのメッセージが込められていました。
演出に使用したコンドームは、「当時流行していたエイズを撲滅するためのパフォーマンスだった」と説明したそうです。
NHK側が即出禁にしそうな出来事ですが、当時の会長は…
当時のNHK会長、川口幹夫は定例会見で本木のパフォーマンスに触れ「いろんな意見があるだろうが、私自身はエイズ撲滅が目的ならいいと思う。そんな時代なのでは」と容認する発言をした。
引用元:ダイヤモンドオンライン
そして、本木さんは翌年からNHKの音楽番組「ポップジャム’93 」の司会を務めたり、ドラマ「聖徳太子」「坂の上の雲」など数々のNHKドラマにも出演されています。
本木さんの紅白のゴム衣装は、色々な意味で伝説のパフォーマンスだったと言えますね。
まとめ 【動画】本木雅弘の紅白のゴム衣装がヤバい!理由はエイズ撲滅の訴え!
今回は、本木雅弘さんの紅白歌合戦のゴム衣装についてお伝えしました。
首元にコンドームを使ったネックレスを付けるという、かなり斬新な衣装でしたね。
エイズ撲滅の訴えでもあった伝説のパフォーマンス、今後も語り継がれる事でしょう。
本木雅弘さんの今後の活躍も応援しています。
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