2023年10月24日、ロックバンド「BUCK-TICK(ばくちく)」のボーカル、櫻井敦司(さくらい あつし)さんが、脳幹出血のために亡くなっていたことがわかりました。
櫻井敦司さんは、10月19日に「KT Zepp Yokohama」で行われたライブの途中、体調不良を訴えて病院に緊急搬送され、そのまま帰らぬ人となりました。
まだ57歳の若さだったそうです。
今回は、そんな櫻井さんの兄弟や生い立ちを振り返ります。
櫻井敦司(さくらいあつし)のプロフィール!2023年10月のライブ中に急逝
以下が、櫻井敦司(さくらい あつし)さんのプロフィールです。
生年月日:1966年3月7日
死没:2023年10月19日(57歳没)
出身地:群馬県藤岡市
血液型:O型
身長:177cm
学歴 群馬県立藤岡高等学校卒業
1984年、全身の「非難GO-GO」というバンドが結成され、翌年1985年に現在のメンバーで「BUKU-TICK」が結成されました。
そして、インディーズを経て、1987年にメジャーデビュー。
「JUST ONE MORE KISS」「悪の華」など数々のヒット曲を持つ、ビジュアル系のロックバンドで、櫻井敦司さんはボーカルとして活躍されていました。
2023年10月19日、「KT Zepp Yokohama」で行われていたライブ中に体調不良を訴えた櫻井さん。
病院に救急搬送されましたが、午後11時9分に脳幹出血で亡くなられたとのことです。
57歳は若すぎますよね。
【画像】櫻井敦司には兄がいた!確執があったものの和解!
櫻井敦司さんの兄弟は、お兄さんがお1人いらっしゃるとのことです。
幼い頃は、父親からの暴力を受けていたとのことですが、高校生になり体格が良くなって反対に父親を殴ろうかと考えたこともありました。
結局「殴ったら全てが壊れてしまうんじゃないか」と思いなおし、最終的には殴ることができなかったといいます。
そんな父は櫻井さんが18歳の時に他界。
母は櫻井さんがバンドでブレイクした1990年に亡くなられています。
お兄さんとは櫻井さんが上京する前後に絶縁状態になったようですが、1994年に「笑っていいとも」の「テレフォンショッキング」にお花を贈ってくれたそう。
バンドで活躍する弟の姿、嬉しかったのでしょうね。
お兄さんは、櫻井敦司さんより2歳上で藤岡市内のヤマト運輸さんで配送員をされています。
CBCテレビの「ゲンバビト」という番組に出演されたということで、その内容は以下の通りです。
<人情も運ぶ山のベテラン配達員>
引用元:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000224.000015357.html
山間部の配達員ならではの苦労がある。
この地域で26年にわたって荷物を配達し続けてきた。
荷物の数は少ないが、それぞれの建物が離れているため、1軒ごとの配達に時間がかかる。
ここでの役目は荷物を届けることだけではなく、地域を見守るという役目がある。
荷物を配達する際の注意点がある。それは・・
鼻筋が通ってイケメンなところは櫻井敦司さんに似ていました。
仕事に対して真摯に取り組まれている姿勢が伝わってきます。
櫻井敦司さんの急な知らせを聞いて、お兄さんも驚かれたのではないでしょうか。
「BUKU-TICK」櫻井敦司の急逝にファンたちは?
X(旧Twitter)には悲しみの声が広がっています。
以上、X(旧Twitter)の声を集めました。
悲しみが広がりますね。
まとめ 櫻井敦司には兄が1人!家族との確執も和解
今回は2023年10月19日、ライブ中に倒れて亡くなった櫻井敦司さんについて調べました。
唯一のご兄弟であるお兄さんも、お力を落とされていることでしょうね。
櫻井敦司さんのご冥福をお祈りいたします。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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コメント
コメント一覧 (1件)
ステージで取れるのはある意味ミュージシャン冥利に尽きますね。ご冥福をお祈りします。